大致上來說,「き」用來表達親身體驗或是敘述者確信的過去。
活用型 |
未然形 |
連用形 |
終止形 |
連体形 |
已然形 |
命令形
|
特殊型
|
(せ)
|
-
|
き
|
し
|
しか
|
-
|
有理論認為[1]「き」是「来」和「為」(現代「する」的文語型)兩者的活用形混合而成;比如說以下的例子:
万葉假名:
美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮士 宇知弖斯夜麻牟
現代假名:
みつみつし 久米の子等が 垣下に 植ゑし椒 口疼く 我は忘れじ 撃ちてし止まむ
(
古事記中卷・神武天皇)
中的「し」(「為」的連用形 )表達「植う」(他動詞)所造成的結果狀態(現代語:「している」)。可被認為是「き」發展出表達"過去"前的過渡。
一般來說前接用言或助動詞的連用形,但若是前接カ行変格或サ行変格,則有以下的接續組合
- 「きし・きしか」(連用形 + 連体形 / 已然形)
- 「こし・こしか」(未然形 + 連体形 / 已然形)
- 「しき」(連用形 + 終止形)
- 「せし・せしか」(未然形 + 連体形 / 已然形)
不過須特別注意,根據明治38年(1905)年文部省發布的「文法上許容すべき事項」,現代日語卻容許以下的接續例外:
佐行四段活用の動詞を助動詞の『し・しか』に連ねて『暮しし時』『過ししかば』などいふべき場合を『暮せし時』『過せしかば』などとするも妨なし
サ行四段活用動詞接續助動詞『し・しか』,應該寫成如『暮しし時』和『過ししかば』的情況,若寫成『暮せし時』和『過せしかば』也無妨。
也就是說,照理來說サ行四段動詞「暮す」應以連用形「暮し」去接續「き」的連體形「し」,但自江戶時代(近世日語)開始,多用サ行四段動詞的未然形去接續「き」[2],所以日本教育當局才將之納入現代日語的標準。
用來表示某件事與現在的時間有段距離。常於和歌或是對話文( 会話文 )表親身體驗的過去。
萬葉假名:
佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母。
現代假名:
さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
(
古事記中卷・景行天皇)
或時にはかて盡きて、草の根を食物としき。
現代語:
ある時には糧が尽きて、草の根を食べ物とした。
(
竹取物語・蓬莱の玉の枝)
也可以表示欲說明的事情早於現階段文字所敘述的時間點。常用於物語、日記和随筆等非對話文( 地の文)部分,並非一定要是親身體驗的過去。
いにしへに ありきあらずは 知らねども 千歳のためし 君にはじめむ
現代語:
昔にあったかなかったかは知らないが、千年の長寿の例を君から始めよう。
(
古今集・353)
かく上る人々の中に、京より下りし時に、みな人、子どもなかりき
現代語:
このように、(川を)上って行く人々の中には、京から(任国に)下った時には、誰もみな子供がいなかった。
(
土佐日記・渚の院・山崎)
不少上代和中古和歌的「せば」,被視為是「き」的未然形和助詞「ば」的組合,所以字面上表示"假設過去",也就是顧名思義地表示與現實不符的假想條件。(注意這裡的「まし」是推量助動詞,前接未然形)
萬葉假名:
袁波理邇 多陀邇牟迦幣流 袁都能佐岐那流 比登都麻都 阿勢袁 比登都麻都 比登邇阿理勢婆 多知波氣麻斯袁 岐奴岐勢麻斯袁 比登都麻都 阿勢袁
現代假名:
尾張に 直に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾兄を 一つ松 人にありせば 大刀佩けましを 衣著せましを 一つ松 吾兄を
(
古事記中卷・景行天皇)
思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
現代語:
思いながら眠ると、あの人が(夢に)きっと現れだろうか?もし夢と分かっていたなら、覚めなかったろうに。
(
古今和歌集・卷十二・戀歌二)